中国旅行 9.三国志の旅 広元市 葭萌関 戦勝壩 敬候祠(昭化古城)
中国旅行 9.三国志の旅 広元市 葭萌関 戦勝壩 敬候祠(昭化古城)
もともとの戦勝壩は臨清門から1キロほど離れたところにあります。
前回の綿陽市から北東へ約200キロの距離にある広元市に来ました。ここ広元は三国志にゆかりのある場所がたくさんあります。とても一日では全てを見ることはできません。劉備、孔明の死後、姜維が魏軍の侵攻を防いだとされる剣門関も広元市の南西約50キロのところにあります。度々漢中からの進軍を防いだのが葭萌関です。葭萌関は蜀(益州)にとって非常に重要な拠点のひとつで、劉璋の応援に駆け付けた劉備がはじめに漢中の張魯に相対するために駐屯したのも葭萌関です。
昭化古城の入り口と街の様子。昭化古城内にも宿があり100元程度で泊まれるようです。入場料は58元で昭化古城内の全ての施設(敬候祠も含む)を見学できます。
臨清門と戦勝壩(新)。戦勝街を1キロほど歩いていくと、もともとの戦勝壩があります。
現在は昭化古城という旅游区になっています。費禕を祀った敬候祠は昭化古城内にあります。さらに1キロほど進んだところに張飛と馬超が一騎打ちをした戦勝壩があります。(近年、昭化古城の臨清門のすぐ傍に戦勝壩が移されたようですが、馬超にしてみれば一騎打ちをするにはあまりにも敵陣に近すぎて現実的ではありません)
地図上の①のところが費禕を祀った敬候祠
戦勝壩です。辺りは農村の風景です。ここで張飛と馬超が一騎打ちしたということになります。
近所に住む中学生が戦勝壩まで案内してくれました。ありがとう!!