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中国旅行 10.三国志の旅 漢中市/勉県 武候祠 武候墓 定軍山 劉備称漢中王設壇處

中国旅行 10.三国志の旅 漢中市/勉県 武候祠 武候墓 定軍山 劉備称漢中王設壇處

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中国に数ある武候祠の中で、最も古いことで有名なのが勉県の武候祠です。

前回の広元市から北東へ約200キロの距離にある漢中市、正確には勉県に来ました。勉県は三国志、とりわけ蜀には深く関係しているところですので、ゆかりの地もたくさんあります。広元市同様、一日では回り切れません。勉県は漢中の西30キロの位置にあります。

 

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国道108号線沿いに武候祠はあります。見学料は60元です。武候祠から定軍山を眺めることができます。右写真、中央にうっすら見えるのが定軍山です。

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劉備が漢中王となった祭壇が勉県にあります。見つけるのは少し大変ですが、地図上の旧州村まで行き、地元の人に聞けば辿り着くと思うのですが・・・。しかし、どうも閉鎖されているようです。団体で行く場合は、鍵を管理している人と交渉次第で開錠してもらえるかもしれません。私は一人だったので金額を聞いて断りました。笑 というのも、外からある程度、中の様子が見えるからです。

劉璋の降伏により、劉備益州(蜀)を手に入れました。同じころ、漢中の張魯曹操に降伏します。益州を手に入れた劉備にとって、漢中の曹操は脅威となります。曹操から漢中を奪うことができれば益州を守りやすくなります。また、劉邦の末裔とされる劉備にとって劉邦が漢中王となった漢中には特別な想いがあったと言われています。そして、曹操軍と劉備軍は定軍山で激突します。その定軍山があるのも勉県です。

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定軍山の入り口は二か所あります。門の向こうに見えるのが定軍山です。夏候淵はここで黄忠に討ち取られました。

勉県には、孔明を祀る武候祠、武候墓、馬超を祀る馬超墓、劉備が漢中王となった劉備称漢中王設壇處、そして、激戦地の定軍山があります。全て見て回ろうと思えば、最低でも2日は必要になると思います。

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定軍山の麓に孔明を祀った武候墓があります。死後は定軍山に埋葬するよう、孔明自ら指示をしていたようです。蜀にとって漢中の地が最重要拠点だったと裏付けられるエピソードです。