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歴史探訪 3.NHK人形劇三国志でゆく、中国、三国志の旅 劉備入蜀 葭萌関の攻防

歴史探訪 3.NHK人形劇三国志でゆく、中国、三国志の旅 劉備入蜀 葭萌関の攻防

 

前エントリーからの続きとなります。

説明が少し足りないように思えましたので少し補足させて頂きますと、17年秋、私はバイクに乗り成都を出発しました。成都から西安を目指して旅を続けておりましたので、時系列に名勝古跡が並んでいるわけではなく、例えば、前エントリーのepisode1 雒城陥落とepisode2 落鳳坡ではepisode2が先にあってepisode1となります。今回、ご紹介するepisode3 劉備入蜀についても、episode2より前の出来事となります。それではepisode3、いってみましょう。

 

劉備入蜀

 

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この後、訪れる三国時代の三雄のうち二雄、魏の曹操、呉の孫権と比べ、この頃の劉備の領地はまだまだ小さく不安定で、孔明の天下三分の計を実現すべく、益州に入ることになります。三国志演義では劉備が主役ですから、劉備=善 という構図になるわけですが、この入蜀時のことを考えると、決して、善とは言えない・・・気もしますが、まぁ、これが人間の世界、そして戦国時代なわけです。

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 さぁ、葭萌関で孤立した劉備、絶対絶命です。北には馬超馬岱を従える張魯もいます。このとき、荊州が動きます。劉備を助けるべく、孔明趙雲は水路で長江を上り、別動隊として張飛が陸路で益州へ向かいます。この頃の張飛は、呂布に徐州を奪われたころの張飛とは違います。計略を使い、巴群を守る名将厳顔を破ります。その厳顔もまた劉備のもとに仕えることになります。

 

劉備劉璋に面会した涪城があったのは、現在の綿陽市です。富楽山公園内にある富楽堂では劉璋劉備を歓待した様子が再現されています。こちらの記事をどうぞ。

travelife.hatenablog.com

 

④葭萌関の攻防

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戦勝壩 では、昼夜問わず、張飛馬超が一騎打ちで闘います。しかし、武力は互角、この一騎打ちでは決着がつきませんでした。そこで、孔明は計略を用います。その計略が見事にはまり、張魯に疑いをかけられた馬超は居場所を失い、馬岱とともに劉備に仕えることを選択します。

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昭化古城、戦勝壩の様子は、こちらの記事でどうぞ。

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馬超劉備に降るの知らせが劉璋のもとに届きます。あの猛将馬騰の子、馬超劉備に降った・・・、もう無理、限界!!と劉璋成都無血開城劉備益州を明け渡すことを決断します。こうして、劉備益州の地を手に入れ、事実上の天下三分の計が実現することになります。

 

次回は、漢中争奪戦から再開します。